
広場
Plazas and Parks
滞在先ホテルはリベルダーデ通りのすぐそばだった。この大通りは南北を公園や広場に挟まれているばかりでなく、中央分離帯が公園そのものだ。ホテルはメトロの駅から近かったが(その駅も中央分離帯に入り口がある)、散歩がてら、2つ3つ向こうの駅までリベルダーデ通りを歩くこともしばしばだった。
このページでは、北のエドゥアルド7世公園から南のコメルシオ広場まで、リベルダーデ通り周辺の公園や広場の写真を集めた。
「リスボン」もくじ
エドゥアルド7世公園 Parque Eduardo VII
南向きの斜面に造られた広大な公園で、1902年にポルトガルを訪問した英国王エドワード7世の名を冠している。
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↑坂の下から見上げる。坂道は思ったより急で、道半ばで息が切れた。時折、めんどくさそうなセミの鳴き声が聞こえてきて、ますます足が重くなった。熱波のせいで数日前まで気温は連日40度を超えていたというから、セミもくたびれていたのかも。 |
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↑公園北端の噴水からテージョ川を望む。ポンバル侯爵像の手前に、市内の名所を巡る赤い2階建てバスが待機中。 |
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↑1つ前の写真と同じ場所から広角で写す。長〜い坂道。くたびれたわけだ。 |
ポンバル侯爵広場 Praça Marquês de Pombal
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↑エドゥアルド7世公園の南隣は大きなロータリーで、内側はポンバル侯爵の銅像を囲む広場になっている。リベルダーデ通りはここから南へと伸びる。ポンバル侯爵は国王ジョゼ1世の下で首相を務め、1755年に起きたリスボン大震災への対応や政治改革など、多方面で大きな功績を残したそうだ。 |
リベルダーデ通り Avenida da Liberdade
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↑並木の左手が中央分離帯。ビルの立ち並ぶ歩道を歩くよりずっと涼しい。 |
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↑土曜日と日曜日、中央分離帯に骨董市が立つ。 |
レスタウラドーレス広場 Praça dos Restauradores
リベルダーデ通りの南端はレスタウラドーレス広場につながる。広場の中央には、1640年のスペインからの独立を記念する、高さ30mのオベリスクがそびえる。
ロシオ Rossio
レスタウラドーレス広場を南に抜けると、ロシオだ。本来の名前は「ドン・ペドロ4世広場」だが、地元では「広い集会場」を意味する「ロシオ」で通っている。地図にもRossioとあり、本当の名前は書いてないことさえある。併記してある場合でもカッコ書きになっているほどだ。
人や車が絶えず行き交うにぎやかな場所ながら、敷石の波模様や涼しげな噴水に誘われ、足を止めてひと休みしたくなる。
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↑円柱の上に、公園の本来の名前になっているドン・ペドロ4世像が立つ。ポルトガル王ドン・ペドロ4世は、ブラジル帝国の初代皇帝でもあった。 |
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↑ドン・ペドロ4世像の南北に噴水が1つずつある。 |
コメルシオ広場 Praça do Comércio
1755年、大地震と津波によって、テージョ川のほとりに立つポルトガル王の居城、リベイラ宮殿が倒壊した。宮殿の跡地はコメルシオ広場として再開発され、テージョ川に向かって開くコの字形の建物が建てられた。
こうした経緯から、コメルシオ広場は「テヘイロ・ド・パソ」(宮殿の広場)とも呼ばれている。建物の外壁は落ち着いた黄色で統一され、その裾をアーケードが飾っている。現在は政府の諸機関が使用しているそうだが、カフェの方が多いような・・・。
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↑アウグスタ通りから眺めた大きなアーチ。広場を囲む建物の、北の棟の中央に開く。修復中だった。 |
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↑西の棟とトラム |
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↑カイス・ダス・コルナス。直訳すると「円柱の桟橋」。リベイラ宮殿があったころは、国王や貴族専用の桟橋だったそうだ。 |
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↑カイス・ダス・コルナスの前から眺めたコメルシオ広場 |
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